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無口書店

好き勝手なエッセイ兼、本の感想。内にこもることこそ我が人生という方へ。

ギャル雑誌に求めるもの、それは「非現実」だ。『BLENDA』

ギャル雑誌に求めるもの、それは「非現実」だ。

数年前まで『BLENDA』というお姉ギャル雑誌があった。残念ながら休刊してしまったが、私は復刊を希望している。

『BLENDA』は、”黒い服をまとった、強くてスモーキーな姉ギャル”が基本だった。パステルなんて、ほぼ出てこない。「オンナの色気、強さ」それを全面に出した、クール系の雑誌だった。

黒くてボディコンシャスなワンピースに、強めだが下品でない色気メイク、ハイヒールか、刺さりそうにとがったブーツ、富裕層を思わせるもちゃんとお洒落を忘れないファーをまとって、エグザイル風の男どもにお嬢様だっこされている……。カラフルやパステルも登場する他のギャル雑誌と違って、徹底してダークな色彩が好きだった。

ギャル雑誌というのは、刺激をくれる。そこらへんのなまぬるい、無難オフィスコーデとか、日曜ほのぼのデートコーデとかじゃない。「私は、オンナ。オンナを武器に生きていく」そんな強いテーマがあり、文化があり、私にとっては、なんだかテーマパーク。ひとつのモード。そして非現実。そんな芯などとおっていない、ふにゃふにゃの日常を忘れさせてくれる。

たとえ自分が強さがみじんも無い、無難で着やすさ重視のズルズルユルユルコーデでをしていても、ギャル雑誌を読んでもいいし、意識高いアートファッション雑誌を読んでもいいと思う。カルチャーとの出会いなのだ。

ギャル雑誌の衰退が議題にあがるようになって久しいが、女性ファッション誌大好きな私が「いまあるギャル雑誌といえばなんだろう?」と考えたとき、せいぜい『JELLY』か『SCawaii!』だった。しかし、両誌、かなりカジュアルである。調べてみると、『小悪魔ageha』と『姉ageha』が生き残っていた。姉agehaには「復活」とか銘打たれていたので、休刊していたのかもしれない。

agehaは、確かに、こりゃ、ギャルだ。なんだか私は安心した。キャバ系ではあるが、ギャル誌といえるギャル誌がまだいたのである。姉agehaの表紙には「女に生まれて良かった」という文字がデカデカと書いてあった(ブルゾンちえみのネタから来ているのだろう)。「女に生まれて良かった」。そうそう、ギャルは、そうじゃないと。オンナを出して、えろい服を着て、男の好むオトナの色気要素を装備して、フェロモンまきちらして、男を寄せ、そして勝つ。なにかに。自分が、女という生命体であることを、これでもかと意識する。それって、とても力強いことじゃないだろうか。

姉agehaを試し読みしてみると、やはり、かわいらしい、キュートな服も多かった。なんか、そうじゃないんだ……あのエッジの効いたブレンダがやはり、懐かしいんだ。ブレンダを読んでいたガールたちは、今どこに行ったのだろう。何の雑誌を読んで、どんな格好をいるのだろう。私が知らないだけで、ブレンダっぽい雑誌は出ているのだろうか。

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「普通って何?」って言ってるやつこそ普通。『ナンバーガール』谷川ニコ

ミニオンの一員になりたい」

これが私の願うことだ。

人間は、「変な人」「変わってる自分」に憧れる。

しかし、もとから「変な人」「変わってる自分」で、それを気にしてしまってる場合、「普通」を渇望する。

「普通って何?」という、よくある台詞がある。青春における代表的な疑問だ。言ったやつがかっこよく見える呪文。

ただ、それは屁理屈だ。

「普通って何?」と言えること、それが「普通」である。

「普通って何?」こそ、「普通」である。だから、安心してほしい。すでに、普通を己で体現できているのだ。

「普通」から「変」にはなれる。演じればいい。そこからその「変」に違和感を持てば、「普通」というホームグラウンドにいつでも戻れる。

しかし、「変」から「普通」になるのは難しい。

自分をねじまげねばならない。演じるのはハードだ。

私は、猛烈に社会に溶け込みたい。しかしながら、それはできなかった。

憧れるあまりに、「見た目が同じキャラがわちゃわちゃしている」姿に猛烈に惹かれる癖がついた。

ミニオンなんて、理想だ。やつら、どれもこれも同じに見える。でも、実は髪の毛の数や、輪郭や、目の数が、良く見れば違う。でも、その違いがあれど、カレーの具材のように、ぐだぐだと、一体化している。違うし、同じ。同じだし、違う。これは、社会である。理想的な。

そして、『ナンバーガール』という作品。『わたモテ』の谷川ニコが描いている。あ、連載は終了した。

ナンバーガールも、見た目がほぼ同じのクローンの女の子たちの、学園生活がギャグでかかれている。それぞれの目には、固体識別の番号が書かれている。性格にも実は個体差がある。でも、全体的に、同じやつらがぐだ~っと、溶け合っている。

ミニオンナンバーガール、あとなんだろう、千と千尋金平糖運んでるやつ?とか、なんかそういう同じやつがワチャワチャしているそれらの光景は、私に安心を与える。

その集団に入れば、個々のちょっとした違いなんて、お互い受け入れて、生きていけそうだ。

まあ実際ナンバーガールでは、いじめられるやつとか出てくるが。そこが、ブラックでリアルな谷川ニコの好きなところ。

ミニオンで一番好きなのは、末っ子体質の、一番可愛らしいボブ。

ナンバーガールでは、ひとりだけ大きな赤いリボンを付けた「13(サーティーンス)」。

両方、一番目立つやつを結局好きになってしまっているが、それでいい。きっと、私がボブになっても、「13」になっても、彼らは、受け入れてくれる気がする。

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じぶん書店がダメサービスだったので。『第2図書係補佐』又吉直樹

めずらしく酒を飲んでいる。

ぶっとべないかなと思ったからだ。しかし、アルコール度数の低い『ほろよい』の缶の、三分の一程度を飲んだところで、わりとギブアップが来ている。本来、苦手なのだ。

気持ちよく酔えなくなった。昔は、気持ちよく酔えたときもあったように思うが、いつからか、「いつもより多少ふらつき、いつもより思考回路が麻痺し、体にとてつもなく負担がかかっている」という自覚と共に酒を飲むようになったので、楽しくない。現在はその無意味さに、あったとしても年に数回しか酒に口をつけない。しかも少量。

私はエッセイが好きだ。エッセイ漫画も好きだ。

エッセイといえばの、さくらももこ。意外と面白かった、室井滋。もちろん、カレー沢薫先生。エッセイ漫画のほうに関しては、数えきれない(馬鹿だから読んでも忘れたというのもある)。

で、私、又吉直樹は、小説より、エッセイのほうが何倍も好きだ。正直、火花よりも、エッセイや書評のほうが全然好き。エッセイは、とても魅力がある。

「書評に自分のエピソードを付けて、結局ほとんどが本と関係ない話になっている」というスタイルに、彼の『第2図書係補佐』で衝撃を受けた。

私はバイトで、軽い書評記事を書くお仕事をしていた時期があったが、それは、本の背景だとか、著者についてだとか、発売日、どれくらい売れてる、内容を的確に簡潔に、読者に期待を持たせて分かりやすく・・・・など、真面目さを求められるものである。

私、全然真面目じゃない。

それよりは、適当に自分のどうでもいい話を書きたい。書評も好き。だから、ドッキングスタイルの彼の書評を読んで、衝撃を受けた。

又吉さんに関しては、太宰好きの共通点など、いろいろと他にもあるので、またそのうち書いていきたい。

とにかく、私も触発されて、かつて、そんなスタイルの本紹介ブログを書いていたりした。でも、私はもっと「コミュニティ感」がほしかった。

私は職人気質ではないので、自分しか見てないところで、自分のために、こつこつ何かを作り上げていく、という、知能の高いことはできない。

だから、今回、講談社が力を入れて開発したというWEBサイト「じぶん書店」に期待をしていた。

しかしこれが、とんでもないものが出来上がった。説明するのが非常に億劫だ。調べてほしい。一言で言えば、「使いづらさの極み」であった。UI、完全無視。この2017年に驚愕のしょぼさと見づらさ、どこになにがあるのかわからない、希望のページにたどりつけない、どこをクリックしたら先にすすめるのかわからない・・・など、きりがない。

私の理想は「ああ~これで私の自由な感じの書評が書けて、たくさんの人が目にして、評価やシェアをもらい、楽しんでもらえて、楽しみにしてもらえて、作者の人にも貢献できて、その本が売れて、こんな私でも社会にグルーヴできるかもしれない……」と思っていた。

それが叶えられそうな気配は、ぜんぜんない。

だから、このはてなブログ、はじめてみた。

ちなみにじぶん書店、いまはまだプレオープン。5月半ばに本オープンらしい。

しかしプレオープンとはいえど、「素人の作りかけ」状態で公開したあたり、ちょっと5月にいきなり進化して完璧になってるとは考えにくい。

でも、いまごろ、この大不評で、制作スタッフの大人が100回くらい怒られているだろうと思うので、どうぞ、気を落とさずに・・・がんばってくださいね。

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私は私を変えることはできない。『うつヌケ』『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』

田中圭一といえばすぐに頭に浮かぶのは、私の本棚に"挿さっている"『Gのサムライ』。

これは超お下劣漫画なので、年少者が家に来ることがあれば、真っ先に隔離しておきたい一冊である。

田中さんの本で持っているのはその一冊だけだが、今回、偶然に『うつヌケ』を手にした。

『うつヌケ』の存在自体は知っていた。”うつトンネルを抜けた人たち”のエピソードが描いてある漫画だ。テレビで紹介されて有名な本らしい。

前々から、「うつの体験談」には、私なりに持論があった。

うつのエピソードって、だいたい、「仕事をしていて鬱になった」というのが多い。

「それまでは普通に生きていたのに、ある日突然!」パターンが多い。

仕事というものは鬱になりやすいから仕方ないが、「”そもそも就職までたどり着けない人間”の鬱」というのもこの世にはたしかに、たくさん存在している。

彼らが参考にするものが、少ないような。

 

そして、ひとことに鬱と言っても、彼らの主訴は様々だ。

何を苦痛に思うか。

ある人は、友人と会うことが息抜きであり、ある人は、友人と会うことは地獄である。

ある人は、気分の”波”があり、ある人は、”ずっと底”だったりする。

ある人は、音楽に癒され、ある人は、音楽が頭に入ってこない。

 

鬱の体験談というのは、参考になる人にはなるし、

一方、就職前に鬱になった人間などにとっては、「まずそこまでたどり着いていない」という劣等感を持つこともある。

また、人のエピソードを知って「この人はこの部分では努力していて、自分は違う。甘えかもしれない」と感じたりする。

だから、鬱のひとが体験談を読もうと思ったら、注意が必要である・・・という持論。持論ね。

 

まあそれは置いといて、こういった本が存在すること自体は、とても有意義なことだ。

これに励まされ、ヒントを得ることもあるだろう。

 

私が良かったと感じたのは、田中圭一本人の「鬱のときの脳みそ」の表現。

脳がコーティングされて、風景や、音楽が、心に入ってこない、その表現が、とてもうまいと思った。

田中さんが影響を受けたという精神科医の本が、作中で紹介されており、気になったので、私も読んでみた。

『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』という本。

 

内容はタイトルそのままだが、個人的に興味深い部分があった。

「私が他人を変えることはできないし、他人も私を変えることはできない」というような一節。

つまり、他人を変えようとする”外的コントロール”はマジで無駄ということである。

この文句はたまに耳にすることがある。

だが今日は何か違った、私はそれを読んで、こう考えた。

 

「ってか、私も私を変えることはできてない」だ。

 

自分を無理にコントロールしようとする、あがき。

で、結局理想通りに変わっただろうか?

もしかして、私は、私を、変えることはできないんじゃないか。

自分が変わるときというのは、”自然に変わる”のではないか。

 

つまり、私は、私が生きるのに任せた方が、健康的なんではないか?

自分をコントロールすることは、徒労なのではないか・・・と思った瞬間、

なんかちょっと楽になったのである。

 

たびたび、精神世界に身を置く、達観したような方々が、

「自分をコントロールせずに、流れに身を任せることだよ」と諭してくれていたなそういや。

 

自分を、コントロールすることは、ムダ。 

 

意味は理解していても、本当に理解できたのは、今日だったかも。

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【"じぶん書店"レビュー再掲】「理解」の限界を突破しろ。社会とグルーヴするな。

クレムリン / カレー沢薫

この漫画を6人に貸したところ、4人は「未読」で返ってきた。

人に漫画を借りて、「未読」ということがありえるだろうか。 しかも、ネコちゃんギャグ漫画である。 これ以上とっつきやすい案件があろうか。

「未読」と言ったが、正確には皆「1話を読んで、ギブアップした」という申告のもとに返却してきた。 正直すぎやしないだろうか。

好みに合わない本を借りたとしても、「読んだよオモシロカッタヨ」と一応の嘘をつかないだろうか。 それほどのギブアップだったのである(シュールな空気に耐えられないというのが主な理由らしい。軟弱である)。

それ以降、私はこの漫画を「踏み絵」にしている。 この漫画を最後まで読めた者だけを「私の理解者」としている。

内容は、「留年大学生の面倒を猫3匹がみる」そんなお話だ。 これでグッとこなかったらもう決別だ。

この漫画におけるそこはかとない「主体性のなさ」は、陰キャを安堵へ導く。 「社会にグルーヴできない自分」「大勢のうちの一人となれなかった自分」そんな意識を、ボヤボヤにごまかしてくれる。

大学へ行かず労働もしないが、芯は決して揺らがない主人公の男「却津山春雄」。そして見た目の区別がつかず3匹入れ替わっても支障がなく、そもそも名前も全員「関羽」のロシアンブルー。

春雄のように強くなれないだろうか。関羽のように優しくなれないだろうか。 社会に溶け込めなくても、生きる道があるのだろうか。 『クレムリン』の卑屈だけど優しい世界に、現実逃避してほしい。

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