無口書店

好き勝手なエッセイ兼、本の感想。内にこもることこそ我が人生という方へ。

私は私を変えることはできない。『うつヌケ』『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』

田中圭一といえばすぐに頭に浮かぶのは、私の本棚に"挿さっている"『Gのサムライ』。

これは超お下劣漫画なので、年少者が家に来ることがあれば、真っ先に隔離しておきたい一冊である。

田中さんの本で持っているのはその一冊だけだが、今回、偶然に『うつヌケ』を手にした。

『うつヌケ』の存在自体は知っていた。”うつトンネルを抜けた人たち”のエピソードが描いてある漫画だ。テレビで紹介されて有名な本らしい。

前々から、「うつの体験談」には、私なりに持論があった。

うつのエピソードって、だいたい、「仕事をしていて鬱になった」というのが多い。

「それまでは普通に生きていたのに、ある日突然!」パターンが多い。

仕事というものは鬱になりやすいから仕方ないが、「”そもそも就職までたどり着けない人間”の鬱」というのもこの世にはたしかに、たくさん存在している。

彼らが参考にするものが、少ないような。

 

そして、ひとことに鬱と言っても、彼らの主訴は様々だ。

何を苦痛に思うか。

ある人は、友人と会うことが息抜きであり、ある人は、友人と会うことは地獄である。

ある人は、気分の”波”があり、ある人は、”ずっと底”だったりする。

ある人は、音楽に癒され、ある人は、音楽が頭に入ってこない。

 

鬱の体験談というのは、参考になる人にはなるし、

一方、就職前に鬱になった人間などにとっては、「まずそこまでたどり着いていない」という劣等感を持つこともある。

また、人のエピソードを知って「この人はこの部分では努力していて、自分は違う。甘えかもしれない」と感じたりする。

だから、鬱のひとが体験談を読もうと思ったら、注意が必要である・・・という持論。持論ね。

 

まあそれは置いといて、こういった本が存在すること自体は、とても有意義なことだ。

これに励まされ、ヒントを得ることもあるだろう。

 

私が良かったと感じたのは、田中圭一本人の「鬱のときの脳みそ」の表現。

脳がコーティングされて、風景や、音楽が、心に入ってこない、その表現が、とてもうまいと思った。

田中さんが影響を受けたという精神科医の本が、作中で紹介されており、気になったので、私も読んでみた。

『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』という本。

 

内容はタイトルそのままだが、個人的に興味深い部分があった。

「私が他人を変えることはできないし、他人も私を変えることはできない」というような一節。

つまり、他人を変えようとする”外的コントロール”はマジで無駄ということである。

この文句はたまに耳にすることがある。

だが今日は何か違った、私はそれを読んで、こう考えた。

 

「ってか、私も私を変えることはできてない」だ。

 

自分を無理にコントロールしようとする、あがき。

で、結局理想通りに変わっただろうか?

もしかして、私は、私を、変えることはできないんじゃないか。

自分が変わるときというのは、”自然に変わる”のではないか。

 

つまり、私は、私が生きるのに任せた方が、健康的なんではないか?

自分をコントロールすることは、徒労なのではないか・・・と思った瞬間、

なんかちょっと楽になったのである。

 

たびたび、精神世界に身を置く、達観したような方々が、

「自分をコントロールせずに、流れに身を任せることだよ」と諭してくれていたなそういや。

 

自分を、コントロールすることは、ムダ。 

 

意味は理解していても、本当に理解できたのは、今日だったかも。

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